もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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サッカーは残念であった。何だか色々、政治的にゴチャゴチャしてるのはまぁ置いておこう。
さて、日韓戦を観ていて僕が思ったのは、日本残念でも竹島は我が領土とかそんなことではなく、プデチゲ食べたいということであった(笑) てなわけで、今日の夜はプデチゲにした。材料は、キャベツやもやし等あり合わせの野菜に、スパム、ニンニク、生姜、豆腐など。 いやいや、暑い時期に鍋は良いね。 大学時代、仲良くしていたキムさんやパク君を思い出してみたり。 デカイ文脈で見たら、何だかウンザリするけれど、僕が留学生であった彼らと話していて感じたことは、僕と何ら変わることのない若者で、将来に不安もあるけれど希望もあり、自国を憂い、そして、何より下ネタが大好きであった(笑) もっと人で見なきゃ。視野狭過ぎ。 PR
とりあえず走った。11キロ程。
28歳にあたるこの一年も、何があっても走ることは続けると思う。夏も秋も冬も春も。 走ることに何の意味があるのか、もはや分からない。 ただ、好きだから走っているように思う。 走る行為そのものも、走る自分も。 そうやって積み重ねて、僕はどこに行けるか。 それは分からないけれど、僕は明日も独り、また走りたいと思う。 混乱してようが、色んなことに縛られていようが。 少なくとも、風を切る瞬間だけは、僕は比較的自由を感じる。そして、色んな葛藤が溶ける気がする。 走れ。
昨日はカウンセリングに。
自分を追い詰めてしまう「自分」。自分を責め、生きづらくさせてしまう「自分」。こんな「自分」を、何とか許して、そして手放したいんだけど、やっぱりそう簡単には行かない。 しかし、簡単にはいかないのは百も承知。 だから、頑張るしかない。 僕は本当に生きるのが辛くて苦しくてならない。今の僕には自責の念以外、何も無い。ただ生きていて、毎日申し訳ないとしか思えない。楽しいと感じることも特に無い。 出鱈目に混乱した、ぐにゃぐにゃとしたぬかるみの中を、行き先も分からず、ただ足を取られてはマズイという強迫感からのみ、何とか足を止めずにいるだけ。 もうやめたい。疲れ果ててはとっくにいるんだけど、まだ命の昂ぶりというか、抑圧されている本当の自分が、まだまだ死なせてはくれない。 だから、ある意味では安心だ。その自分まで疲れ果てて、本当に何も聞こえなくなってしまったら、僕はこの世界と繋がる理由が何一つ無くなる。 とにかく、もう頭も回らないし、論理的な整合性を持たせるのも近年、本当にめんどくさいからしないけど、今はピンチだけどチャンスだということ。 僕はこれまでの僕を手放して、新しい、素の僕になれるかどうかの分岐点にいる。 ここで上手くいけば、僕の世界は変わるだろう。毎日自分をひたすら責めて終わる、こんなあんまりな現実を。 悔しくないか?こんなんでくたばるなんて。本当、ゴミクズみたいな奴らに自尊心泥棒されて、踏み躙られて、軽んじられてさ。 俺だってそりゃ、ゴミクズみたいなもんだけど、少なくとも俺の知ってる無数のゴミクズに比べりゃ、まだ上等な気がするよ。 よってたかって弱い奴イジメたりさ、バカにしたり傷つけたりさ。 いや、俺だって大差なんて本当は無いんだけど、やっぱり悔しい。 こんなんじゃ死にきれない。 死にたいという気持ちがあるうちは、僕の正常なセンサーがきちんと機能しているってことだ。そして、死にきれないという気持ちは、いくらかの義務感だ。俺が死んだら、俺がこれまで闘ってきた一切に負けたってことになるから。 そして、結果的にダメだったら、似た境遇にある奴らまで否定することになるんだから。 だから、降りられないし、降りたくない。 今日はタイトルと本文が全く釣り合っていないけど、まぁ、そういう日もある。 とにかく、今はチャンスだからな。
当たり前だけれども、どれだけ探したって、自分は既に在る。ここに。だから、探す必要などない。
問題にすべきは、自分を変えること。 その際、人や環境を変えようとは思わないこと。自分を変える。 矛盾だらけで嘘ばっかりで、小さいことをウジウジと気に病み、過ぎた幾つものことに縛られてばっかりだけれども、今のこんな自分は窮屈だから、ここを変えていく。少しずつで良いから。 俺には実現したいことが幾つもある。変えていきたい、貢献したい社会問題がある。 そして何より、見たい景色がある。それは、「救済された自分」が見る景色。 肩を組んで笑い合って、世界中のあらゆる人を無条件でただ受け入れられるような境地だ。 難しいかもしれないけれど、それが僕の夢。 僕は僕で生きたいし、あなたはあなたで生きてほしい。 そして、そういうかけがえのない、お互いという存在をただただ慈しみ合いたい。 そのためには自分のサイズで偽り無く地に足を着けないとね。 20代くらいまでは、理論武装して、外見やら学歴、給料や社会的地位なんかを、まぁ、これでもかってくらい比べ合わないといられないものなのかもしれないけれど、僕は本当にそういうのにうんざりしている。 僕は僕だ。何かに規定されているサイズから評価されたくないし、したくもない。もうそういうの、本当に嫌なんだ。 てなワケで、僕は僕がこれまで積み重ねてきた良いことも悪いことも含めた「自分」を壊したい。壊さなきゃ僕が思うような世界には到底生きられない。
その通りだ。実にロックンロール。
誰もテメェの人生に責任なんて取ってくれないんだぜ。 だったら、当たり前だけど、テメェがこうだと思うことを信じて、ひたすら実行し続けろよ。 突き詰めたら人は人に無責任だ。 両親や兄弟にさえ、僕らは完全にコミット出来ないんだから。 どうせワンチャンな今生だ。 クソなことなんて相手にしてる暇なんかマジでねーぞ。 |
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