もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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油断すると、すぐに取り繕ってしまったり、ついつい格好付けてしまったりもするのだが、まぁ、何と言うか、モテたいし(笑)、きっと、本能的な部分で、そのようにせざる部分は考慮しつつも、やっぱり素でいたい、そうでいられるところは。
僕はただ、自分とあなたのこれまでも今もこれからも、そのまま受け入れたいだけだから。 あなたから何かしてもらいたいとか、何かを期待するなんてことは一つもありません。強いていうなら、どうかあなたにとっての明日が、良い一日でありますようにと思うことくらいだ。 これはひどく偽善者風ではあるが、実際、本音に近いところではある。 閑話休題。今日、腹筋をしている最中に(笑)、何となく思ったのだが、僕は楽しみたいんじゃなくて、ただ己を全うしたいんだと気付いた。辛い時も病める時も。暫定的なベストを尽くして、いつかは果てる。その瞬間までの道のりを、ただただ自分らしく全う出来れば良いや。 PR
昨日、もう本なぞ読まないと宣言したことが、逆説的に本の存在を意識させることに繋がり、フラフラと本屋へ。
まぁ、人間なんて案外こんなものであるし、そういう自分も割と嫌いじゃない。 さすがに、小説はもういいやと素通りし、二冊の新書を購入。 ①『折れない心をつくるたった1つの習慣』植西聰 ②『ゲーテ格言集』高橋健二編訳 理由は特にないが、何となく、こころなり精神が、こういう書物を欲したのだろう。 とりあえず、①から読み進める。 まぁ、当たり前と言えば当たり前のことが沢山書いてある。そして何より、自分が腐りきっている時に、浮上せんと無意識的に選択してきたいくつものことが、あながち間違っていなかったことに気付けて、少し自信になった。 例えば、卑近なとこで言えばランニングの習慣を採用したこととかね。 小さなことだし、取るに足らないようなことだけれども、僕はランニングのお蔭で救われた部分が枚挙に暇が無い。そして、日々の小さな小さな積み重ねが、確実に今の自分への信頼に繋がっている。 まぁ、そんな感じ。 んで、上記した本の一節に、今日のタイトルとなった言葉を見つけた。 ありきたりかも知れないが、案外重要な気がしたので、このフレーズをこれから毎日、眠る前に唱えてみることにする。僕はリセットするのがクソ下手クソだからね。だから、リセット意識を持つことは、多分、プラスに働く予感がする。 「私の心の中にあるマイナスの感情をリセットします。明日はきっといい日です。」 素敵な言葉をありがとう。 閑話休題。まぁ、何というか、あらゆることは全て、自分に還ってくる。良いことも悪いことも。人間の良心や記憶を甘くみてはいけない。 しかし、失敗するのもまた人間なのだ。 だから、失敗したらきちんと反省し、そして、自分のために、自分を許し手放す。もう同じことはしないと誓う。 それで良い。 まぁ、まとまりも付かないしまとめる気もあんまないから、まぁ、今日はこの辺りで。
もう子ども染みた部分は卒業しよう。時間は有限だ。
具体的な目標を定め、それを具体的に実行していくシステムが必要だ。さもなければ、人生など暗闇を光無しで彷徨うが如し。そりゃあ心許なくもなるわと。 とにかく、僕が次の段階に進むために必要なことは、つまりは取捨選択だ。 心地よくないこととは、なるべく距離を置く。シンプルに楽しいことをやる。 自分に当てはめると、付き合い的な交遊、SNS、価値観があまりに合わな過ぎる人との関わり等。 友人関係なんてシンプルで良い。たまに会って、そいつの今を肯定したいし、自分の今も肯定してもらいたい。そして、頑張ろうなと言って、またお互い、「自分の道」に還る。 つまり、毎日だか毎週のように会う社交なんてまるで望んでいない。 たまにで良い。自信が無くなったり、自己肯定感が枯渇してきたときに、どちらともなく声を掛ける。そういう関係が理想だ。 あと、SNSはどう考えても僕には針のむしろだ。疲れる。 繋がるためのツールで、孤独感がむしろ増幅する僕の側に、むしろ問題はあるのだろうが、いずれにしろ、向いていないなら離れる。 現に、Facebookから距離を置いてから、ある種の部分は調子が良い。 乱されたくないから離れよう。 そして、やりたくはないけれど、勉強は生きていくために必要だから頑張って、ランニングはただ好きだから続ける。筋トレも同様に。 まぁ、とにかく。取捨選択。 今、取捨選択の末にきちんとシステムを作りさえすれば、僕の30代は、そう悪いものにはならないと思う。 むしろ、そう悪くしないための基礎作りだと捉えて、とにかく前を向いて胸を叩いて、今日も明日もまた頑張るしかない。 もう詩や物語は、僕にはいらない。 魂に届いてこないし、何より、もうそういう所に逃げ込む歳でも無い。 自分のストーリーの方に集中しないとね。そしてきっと、そっちの方が辛いことも多かろうが、結果的にきっと、こちらの方が楽しい。
そういうのを夢想する俺は甘いのだろうか。
例えば、いくつになってもやり直しがきく社会を夢想することは、単に俺が世間知らずなだけなのかもしれないが、ごくごく当たり前じゃなきゃおかしいと思うし、逆に、何でそんな当たり前の部分にフィルターなり制限があるのか意味が分からない。 また、弱い奴に優しくない社会は、基本的に良くない社会だと言い切りたい。 能力差は正直ある。そして、生まれつく環境の差なんかも無視出来ない。 つまり、今更だけど、人生なんて不平等が大前提だ。 よって、あらゆることを自己責任にしてしまうには、あまりに酷だと僕は思う。 たまたま①能力が人並みかそれ以上あって②それを後押しなり援助する環境があり③本人も努力したという三要素が揃った人しか、この社会のホワイトカラー層にはなれない、というのが現実ではある。 しかし、上記したように、生きる限り、評価や判断は分かれようが少なくとも死に抗っているという点では、③は満たしているはずだ。しかし、①、②に関しては、明らかに選べない。つまり、ただの運だ。 よって、そんな運の良し悪しだけで、色んなことが断たれてしまったり、そもそも選択肢に上がらなかったりする。 不平等極まりない。 俺はやっぱり、この現実が許せない。 運の良かった奴は、運の悪かった奴に少なくとも、その運で得た5割くらいは還元してやっても良いんじゃないか。勿論、今も所得に応じて税金なりがワンサカ引かれているようだが、何というか…そういうことじゃないと思う。勿論、現実問題として、そういった税金は必要なんだろうけど。 まぁ、中途半端に何かを思って書くのも無責任だから、もうよそう。
自分は、やっぱり自分で作るしかない。
もうありとあらゆることに負けそうになるけれど、そこで頑張れるかがやっぱり勝負所。 すんごい月並み。 とにかく、負けそうになる度に自分を奮い立たせて、今日も明日も生きていくしかないんだろうから。 そして、そのプロセスこそが、救済への唯一の道であり、とにかく歩き続けないと、救済の度合いも深まらないんだと思う。 しんどい考え方かもしれないが、僕はやっぱり、そういう風にしか考えられないから、やっぱり苦しみは付き物、必要罰であると受け入れる。 バカらしく思われるかもしらんが、「僕がこの観念をバカらしいと心底思える日」は、実際ゴールだ。 そん時は多分、僕は救済されているはずだし、そうじゃなきゃおかしい。 まぁ、昨日決めたことも併せてだけれども、僕のやり方で、誠実にやれば良いんだと思う。暫定暫定で。 もう実際、それくらいしか方法なんて思い付かない。 |
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