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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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何の気なしに、LDブログ時代のブログを、改めてパラパラと読み返してみた。

率直に言えば…恥ずかしくなった(笑)いやぁ、痛々しいというか何というか、青臭さ全開で、もはや悶絶しながら読む始末…書いている当人がこんな具合だから、読まれていた方には、さぞやご迷惑をかけたことしきりであろう。

しかし、当たり前のことではあるが、「自分」という存在は、過去のいくつもの「自分」の連続体だからね。つまり、過去の「自分」の堆積が、暫定的な今現在の「私」に他ならない。

何だろうな、忘れたくないよね。色んなことを。

例えば、もう22歳当時の自分について、忘れてしまっていることも多い。その当時の心象風景や、悩んでいたことなんかも含めて。同様に23歳、24歳…も以下同じ、やっぱり不思議なモンで、「忘れちゃう」んだよね、人間だもの。

でもね、やっぱり忘れたくない。少なくとも、思い出してはいたいよね。たまには(笑)

例えば、冒頭に述べたように、「自分が恥ずかしい」と感じた理由は、恐らく、その当時の自分と、現在の自分との間に、言うまでもなく距離が出来てしまったからに他ならない。

同じような所をクルクル回っていて、ちっとも前になんて進んでないじゃないか、もープンプン!などと、さとう珠緒のような日々を過ごしていた感覚はあるが、実際には、「螺旋階段論」である。つまり、遅々としながらでも、確実に「上」にはのぼれているのだと思う。もっとも、何が「上」なのかは分からないが、少なくとも、似たような景色は見えるんだけど、見え方が違う。そして、そのことが良いことなのか、悪いことなのかも、僕には分からない。

あるものは損なわれたし、「その瞬間」にしかないようなものも消えた。若さゆえの無邪気さとか、無鉄砲さ、攻撃性も影を潜めたように感じる。センシティブな感覚も磨耗していく一方な気がする。

綿矢りさのデビュー作の中にこんなフレーズがある。
「成長するってことは、世界が狭くなることと同義」
細かい部分は合ってるかは失念したが、確か、こんなニュアンスであったように思う。

いやいや、芥川賞を取るだけのことはある。実際、そういう部分は少なからずある。

世界は確かに、狭くはなった。勿論、まだ知らない世界は無数にあろうが、少なくとも、LDブログ時代の自分に比べたら、はるかに世界は狭まった。そして、それが良いことなのか悪いことなのか分からないが、実際そうだ。

そして、きっと、僕はもっと階段を昇る。

眼下の景色の見え方は、また変遷していくものだろう。

そこに意味があるのかどうかは分からないが、きっと、死ななくて良かったと思えると思う。だから、生きよう。うむ。
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