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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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何かにつけては、「本当の自分」が抑圧されているような気がして生きづらい。
もう随分前からだ。

しかし、考えてみれば、「では、本当の自分って何やねん」という話にもなる。
ただ未処理の葛藤を「本当の自分」と正体付けているだけな気もする。

冷静になろう。葛藤を抱えながらも、いまこの瞬間を生きている「私」もまた「自分」の一部であることには違いないのだし、葛藤を処理することのみに囚われるのも、何だか虚しい。

「充たされたい」が叶わなくたって別に良いではないかと、少し外野から自分を見る目を涵養することも必要かもね。

まぁ、生きづらいのも仕方ない。思うように出来ないもどかしさも仕方ない。

それに、自身の抱える葛藤が、本当に闘う必要があるモノなのかどうかも、実は分からないし…

よって、未処理の葛藤と、その未処理の葛藤を抱えながらも存在している自分との距離を、「解離」という風に捉えるよりは、「多面性のある自分」という風に捉えた方が多分生きやすい。
まぁ、思うのは簡単なんだが、なかなか実践するのは難しい。

出来れば葛藤と自分の距離を限りなく一致させたいが、まぁ、そう上手いことはなかなかいかない。だから、まぁ、仕方ないとでも思うしかない。上手に諦めたり手放すのだ。

この辺りはまぁ、恐らく、テクニカルな領域でかなりの部分解決出来るように思う。

侮るなかれ。こころはコントロール可能だ。逆に言えば、自分のこころを上手に操れることが、生きづらさ解消の第一歩なのかもしれない。

手綱を緩めたり強めたりしながら、上手いことやってみる。

そのためには、徹底した内省も必要な反面、徹底した諦観も必要な気がする。

内省と諦観の中間地点…そう、その程よい弛緩領域に身を保つこと。

とにかく、極端な場所に身を置くことは、僕はあまり得策ではないと、最近強く思うのだ。

そんなに強くないからね。
でも、そこで終わったら、事態は悪くなるばかりだ。
弱さを認めつつも、強くなることを放棄しない。

勿論、ベースには諦観や手放しがあってのことだが。
まぁ、よく分かりませんが。

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