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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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【今日の勉強】

数的処理 3h
数学 2h
ミクロ経済学 2h
英単語 30min

計 7h30

【今日の運動】

ランニング6Km

腹筋150回

【今日の娯楽】

サッカー 日本対韓国

【今日のアカデミック】

『これからの「正義」の話をしよう』 マイケル・サンデル

第5章 重要なのは動機ーイマヌエル・カント

特に、道徳についての考察。

カント曰く、ある行動が道徳的か否かは、その行動がもたらす結果ではなく、その行動を起こす意図で決まると言う。

その具体例として、計算高い店員を挙げている。

どういうことかと言えば、例えば、子どもがパンを買いに食料品店にやってきたとする。

店員は、子どもが相手だから、何だかんだとまくしたてれば、本来の売値より値段を釣り上げて、パンを売ることが可能である。

しかし、そのことが、周囲に発覚すれば、悪評として、店の信用の失墜に繋がり、結果的には利益を損ないかねない。

よって、そのことを防ぐ意味で、子どもにパンを定価で売った。

これは一見、道徳的にはフェアーで、正しいことをしたかのように写る。ぼったくれたのに、ぼらなかったんだから。

しかし、結果的に、子ども相手にもフェアーな取り引きをしたことが道徳的であるように写っても、この店員は、「未来の利益の損失」を見据えた上での行動であるため、動機不純として、この一連の行為は、カント的には、反道徳的であるとされる。

まぁ、これは何となく分かる。

しかし、ちょっと難しいのがこちら。

カント的、他者を助けることについての考察の件である。

カント曰く、他者を助ける動機が、利他的であれば、結果的に善行をしたように見えたとしても、それは、「(結果的に)称賛に値するが、尊敬には値しない」と。

つまり、動機が利他的であれば、その行いは善行ではないのだ。

では、どういった行いが、善行であるのか。

カントはこう述べる。

「誰か他の人間を助けたいという思いは全くないが、ひとえに義務のために助けた時のみが、善行であり、道徳的であると言う」

これはなかなか難しい。

徹底的な無関心をベースとした義務のみが、善なのだから。

しかも、「義務」については明らかにされていない。(自分の読解力不足かもしれないが…)

要はこういうことか。

よくある例えだが、例えば、道を歩いている時に、子どもが川に落ちたとする。「私」は助けたいとは一切思わないが、結果的には体が動いて、川に飛び込み助けてしまった時とかがそれか。

こういう無意識を、他者に対する義務と言うのか。

しかし、この無意識の中には、僕は、何%かは、助けたいという気持ちが含有されているのではと思う。

偉大なカント様への、まさかのイチャモンである。

僕は思う。

動機不純(結果的には自分のためetc)でも、結果的に誰かのためになるなら、それは善といって差し支えないのではないかと。

プロセスや動機は目に見えないんだから。

人は往々にして、ただ結果を求めるものだ。

最短距離で、答えなり結果が欲しいのだ。

だから、他者が結果にさえ納得してくれるなら…それは『結果善』である。

そして、それで良いと思う。

上述したパン売りの店員も、結果善は一応果たしている。

結果善の動機が露呈しない限り、その行いは、形式上では善となり、誰も不幸にはならない。

暫定的には、これで良いと思う。

僕がかつて、不登校生のボランティア団体を作る上でも、この問題には直面した。

つまり、究極的な組織の目標が、個人の快楽に帰着するのではないかと。

不登校生を救って、過去の自分を救いたいとか、誰かのためになってる自分気持ち良いとか、まぁ、そんな不純な動機に帰着したのである。

当時の自分は、100%善行だと信じて止まなかったが、実は100%善行などではなく、かなりの部分、恣意的願望が含まれていることに驚いた。

しかし、『結果善』で線を引いた。

結果的に誰かのためになるなら、傲慢かもしれない、一方的かもしれないが、それは善行になると。

そして、100%の善行などはないとも割り切った。

100じゃないから何もしない、よりかは、75だけど1をする方が、遥かに社会にとっても、何より目の前にいる人にとって有益であると。

まぁ、傲慢なのは承知。

案外、考えは1,5年前に行き着いたところから、何ら変わっていないのだ。
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今日はアウトレットに腕時計を買いに行った。

チタン素材の太陽光充電のタイプ。

なかなか良い値段を支払ったが、デザインやカラーがツボだったので良しとする。

時計を買った後は、今シーズン、冬物衣類を買っていないことに気付き、多少いくつか冷やかすが、もう冬もよく考えたら佳境。

春がきたら、春物衣類を買うことに決め、特に何も買わず。

今日の勉強。

数的4題+復習 4h
憲法 2h
民法 1h
ミクロ経済 45min

計 7h45

今日の運動。

腕立て20回×6

前腕150回×3

今日のアカデミック

『これからの「正義」の話をしよう』 マイケル・サンデル

第7章、アファーマティブ・アクションをめぐる論争
『個性を捨てろ!型にはまれ!』三田紀房

第4章 タテ社会は素晴らしい

今日の娯楽

龍馬伝 26話

5時に夢中 東京MX

明日はサッカー日韓戦。

余裕があったらHUBに行って観よう。
今日は、チーム埼玉人で千葉県の館山まで行って来ました。

レンタカーは、ネタ的に、何故かバンを借りました。
非常に男らしい素敵な車です。

今日は、千倉で海鮮丼を食べ、館山の海を眺め、良い気分転換になりました。

なかなか機会がないと、館山の方にまで行かないしね。

昨年は四国最南端、今年は千葉県の最南端を制覇した。

僕は個人的に、地理的な最果てにあたる場所が結構好きで、何と言うかそこに、強い趣を感じる。

閑話休題。

月並みだけど、どうせいつかは死ぬんだし、一度きりの人生だ。時間は待ってくれない。

悩んだり尻込みしたりするのも良いし必要なんだけど、何も考えずに無鉄砲に飛び込むことも案外あり。

ホントは見えてる願望。

だけど、理性が色々と現実的な計算をしてくれるお陰で、どうしても真っ直ぐに進めない部分が出てくる。
最短距離は自分の気持ちに抗わないことだ。

しかし、一方、結局は、愚直が最短距離である説もある。

カンサンジュの『悩む力』の中にはこうあった。

「結局のところ、愚直にまで自分を掘り下げないと、真の意味で社会と関われない」と。

細かい部分は違うと思うが、大意はそんな感じだったように思う。

これも真理っぽいよね。

一見遠回りだけど、結局は、愚直な掘り下げを通じて見えたことは、限りなく純度が高いと思うから、その先にブレるリスクが非常に少ないと思う。

何より、そういうプロセスを経た人は強いだろう。

何が正解なんて分からない。

ただ一つ言えることは、人間が生きる究極の目的は子孫繁栄だ。

遺伝子レベルでそうだ。

理性は、所詮、遺伝子情報にはかなわないと僕は思う。

理性が最終的に自分を救うかどうか、僕にはやはり半信半疑でしか感じられない。

今日は起床後、ランニング6キロ。腹筋150。

最近よく走る公園は、既に冬至梅が蕾をつけ始め、なかなかにあはれである。

ひとはいさ こころもしらす ふるさとは はなそむかしの かににほひける

紀貫之が詠んだ歌。

まさにその通り。

人の心はうつろう。でも時期がくれば、花はまた咲く。昨年と同じように。

日本人は桜が好きだが、僕は梅の地味な艶やかさが大好きだ。

閑話休題。

今日は数的を中心に勉強。
気分を変えて、行ったことのないドトールで。

昼は、琴平製麺所でうどんを食べた。ぶっかけの大。
個人的には、ダシは丸亀製麺所、麺は琴平製麺所だと思う。

言うてもまぁ、チェーンならではの、せめてものクオリティの比較でしかないのだが。

東京だと、新宿にある東京麺通団か、明治の駿河台校舎近くの丸香くらいしか、まともな店がないのが、讃岐オタとしては残念ではならい。

そして、夜は飲みながら、サッカーを観戦。

香川やったね。今日は確かに、前回、前々回に比べても、香川らしい本来の特長を出せてたし、その上、結果までついてきて良かった良かった。

程良く酔っ払ったところで、マイケル・サンデルを少し読む。

アカデミックな視点も忘れちゃいけない。

とかく狭くなりがちな視野を、定期的に、強制力を持ってでも広くする必要がある。特に僕みたいな、ともすれば自分にしかアテンションが向かなくなる人間にとっては。

まぁ、勉強にしてもランニングにしても、まだまだリハビリの域を出ない。

しかし、急速なミラクル君にはなれない。「俺は今日から生まれ変わる。毎日18時間勉強して、4時間半しか寝ない、みたいなね。」
一見遠回りなようでも、ステップバイステップが、結局近道だと思う。

出来る出来る!

そう1日の中で何度も呟きながら、無理やり自分を鼓舞しています。

今日の努力が、「いつか」に必ず繋がる。

だから、今日をないがしろには出来ない。

「いつか」のための、かけがえのない1日なのだから。
これは、『リアル』の野宮君の受け売りです(笑)

だけど、その通りじゃん。
勿論、ひどい日もダメな日も引っ括めて、「いつか」には繋がるんだから。

そういう時期はそういう時期で、やはり、慈しむに値するものだと思う。

俺は出来る。出来る、出来る。

そう唱え続けて、頑張っていかないとね。
自己肯定感を常に感じ続けること。

自信がなくなって、ついつい落ちてしまう時にも…この意識があれば、時間の浪費や生活の失墜は、かなりの部分、回避出来る気がする。

また、過去のプラスの面を意識することも大切だ。

ともすれば、ついついマイナスなことにばかり目を向けてしまいがちだが、よくよく子細に検分すれば、誇れることや良いことも過去から現在に積み重ねてきてるワケである。

それを忘れちゃいけない。
マイナスばっかじゃないんだから。

大学2年の時に、E,フロムを扱うゼミに所属していた。

その際に使っていたテキストが、『愛するということ』。

自己愛がないところに、他者愛は生まれない。

まず、今現在の僕の課題は、自分を愛すること。

自分を愛するとは、ダメな部分も何もかも引っ括めて、それでも自分を愛すべき存在だと認識することだ。
僕は、きっとそんなに悪い奴ではないはず。

良い面をもっと見てやらないと。

自分が可哀想ではないか。


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