忍者ブログ
もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
[166] [167] [168] [169] [170] [171] [172] [173] [174] [175] [176]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

とりあえず試験を受けてきた。

出来具合は、5~6割くらい。

やっつけ数的と、やっつけ憲法が効いたのか、案外、問題についていけた。

文章理解と憲法、社会政策、日本史、世界中、判断推理、資料解釈は多分正当出来てる感がある。

ボーダーがどこにあるのかは読めないが、あながち6割に転んでれば、期待感がないワケでもない状況。

まぁ、15%くらいの期待感を持って果報を【来年に向けた勉強をしながら】待とう。

寝てる余裕はさすがにない(笑)

今日は、同じくC日程を受けた友達と、今日の所感やら、今後の身の振り方について考察しながら、飲みに行きます。

しかし、疲れたな…
PR
浅いところから、って言うか、何か事を始めるにあたっての動機なんて「軽い気持ち」でいいんじゃない。

秋だから紅葉とか、「今日は釣りしたいから釣り」とかさ。

そんで、そん時同行したメンバーと、たわいない話から、しっとりした話までを「自然な流れ」ですりゃ良いじゃん。

そうすればいつか解凍されてくと思う。

俺の欺瞞や過去や過失や嘘や見栄や反省や若さ故の青さが。

すんげえ簡単なこと言ってる気がするな。

しばらくは、この流れを、意識的に採用してみよう。
動きださなきゃ。

1ミリずつでもさ。

明日は市役所の受験。

7月くらいからだけど、曲がりなりにも、多少は悪あがきをしてきたから、ひとまずはそれを信じよう。

今日は準備を整えたり、雄ちゃんと会って少し話したり、多少、一般教養科目の参考書をパラパラやったりして、夕方からは、じいさんが来たので一緒に飲んでリラックスして過ごした。
閑話休題、何でしょうか。

「軽く捉えても良い部分」と「重く捉えなきゃな部分」に分けれたら、僕達の人生はホントに楽になるんだろうなと思う。ただの単純なセパレイトに過ぎないんだけど、これがなかなか出来ない。

とかく僕達は、楽なこと、軽いことばっかに流されがちだ。

だから、ツイッターなんかが流行るんだろうな。

もう、重たいコミュニケーションなんて時代遅れなのかもね。

軽いもの軽いもの。より快適なものより快適なもの。
よりスリムに。より無駄を省いて。

そこに何が残る?

薄っぺらい素敵な社会。

僕達は、ホントに大事なこと、足元にあるそいつを、忘れてはいないか?

まぁ形骸化して淘汰されていくものなら、それはそれで仕方ないのかな?

なんてね。

俺はいいや。

音楽について語る。

カッケー音楽は割に沢山ある。

卑近なトコだと、最近は、KNOTLAMPの新譜は良いなと感じたし、SpecialThanksのアコギverも良いなと思った。

しかし、否定するワケじゃないけど、何か「熱さ」が足りないと言うか、「底が浅い」と感じざるを得ない。
結局、僕が音楽に求めるものは、メロディのカッコ良さは言わずもがなだが、それにも増して希求しているのは、「どんだけ苦心して掘り下げたか」という、真摯な気持ちが伝わってくるかという点だ。

それは極めて恣意的な感覚なんだけど、そこが感じ取れないと、少なくとも僕は、好きにはならない。

勿論、カッコ良いとは感じるんだよ。

でも、やっぱり俺が希求しているのは「熱」と「真摯さ」。それに「そいつの苦難から出発する、自分の言葉で語られて(表現されて)いるいること。この三点だ。

だから、細美は好きだ。

そして、ボブ・ディランも好きだ。

最近では、青臭いとは思うけど、ワンオクからもその姿勢を感じて好感が持てる。

その点、やっぱりtelephonesや時雨、やくしまるえつこなんかは、やっぱ何かが足りない。

そう思う。

勿論、曲は嫌いじゃない。
だけど、絶対的に好きにはなれない。

そんな感じ。

要は、テメェの不器用なスタイルで、極力嘘偽りなく、真摯にやっている奴が好きなのだ。

とか何とか言うけど、フェスに行ったら何でも楽しい、最高!なんて思ってしまう。

だから、音楽は不思議だ。
そんな僕は今もHIATUSを聴いている。

要は好みの問題なんだけどね。

苦心の跡や生きざまは、分かるんだよ。説明できないけど、そういうのって伝わるんだよ。

でも、俺は否定をしているワケじゃない。

好みの問題だ。

真剣に苦しんでる奴しか信用できない、なんて思い込んでるから、そういうのが感じられるアーティストしか、真の意味では好きになれないのだと思う。

特に、やくしまるえつこはダメだ。

「何となく」で売ってるからだ。

信用できない。

時雨も怪しい。

カッコ良いんだけど、重さがないんだよ、何か。

難しいよな。音楽って。

今日は起きて愕然とした。
理想と現実があまりに解離していることから、やっぱり逃れることなんて出来ないやって思ったからだ。

昨日寝る前に、「桃源郷」のような記事を書いた。

だからであろう。

朝目覚めた瞬間からの「現実の重さ」が対比感覚となり、そのギャップに耐えられなかった。

とりあえず、タバコを吸いながら、ひとしきり絶望してみたが、10を数えてやめた。

春樹が何かの小説の中で、主人公にやらせていたことだ。

「10、9・・0。はいおしまい」ってね。

僕もそれに倣い、「現実的な僕」に今日も転身する。
世を嘆きながら、アイロンがけや、入念にウォシュレットを使うことは出来ないのだから。

今日は予備校へ。

民法。

終わった後、一風堂でラーメンを食べて帰宅。

今日も、昨日同様に予備校の授業込みで10セット。

ようやくスイッチが切れる。

束の間の「ホントの私」。

そして、「ホントの私」だなんて決めつけている「私」を客観視している「私」。

よく分からないが、とにかく、スイッチは切っても良い時間だとは思う。

スイッチが切れたら、やっぱり「桃源郷」を夢想したくもなるよ。

そりゃそうだろ?

俺は今日も無味乾燥なミクロ経済の問題を解き、数的処理をヒーヒー言いながらやり、憲法の遠回し的な言葉使いに辟易し、そして、ワケも分からないけど、朝起きて、髪型までセットして出掛け、帰りは満員電車に揺られ、オッサンに挟まれながら、汗だくで帰宅したのだ。何で生きてるのかも分からないのに。

健気な奴だ。

だからこそ、スイッチが切れたら、僕は夢想する。

でも分かってるよ。

それは言わないでくれ。

本質的な解放は、現実の堆積の中にしか、恐らく見出だせないモンだと思う。

だから、明日も生きよう。
堆積の体積が、ある段階まできたら、僕は救われる。
なんてね。

くだらないけど、的を射ている気もする。

要は明日も生きなきゃねってことだ。

スイッチを入れてさ。

その時間の堆積が、「スイッチの入っていない自分」をいつか救う、と思い込んでいる「自分」。

主体はどこにある。

そして、主体が主体たる根拠はどこにある。

そりゃ、言うまでもなく、「今、そう思う僕」だ。

それ以上でも以下でもない。

でも、そいつを疑わないといけないことは、前にも書いた。

だから、僕は生きて探さなきゃいけない。

こんなことを思わなくて済む「自分」を。

あるいは、その到来を。



忍者ブログ [PR]
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
リンク
2006年9月~2009年1月
http://blog.livedoor.jp/aniaclub/
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[01/22 納豆太郎]
[01/11 Animepeu]
[05/12 P氏]
[05/08 ✿]
[02/03 orderuclicemi]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
最古記事
P R