もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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多感な時期に没頭したあらゆるは、歳を経てからの自分の核となる。
僕の場合はやはり春樹。 孤独を紛らわす術と、一人ぼっち(実際にはそんなことはないのだが、まぁ、主観として)も「悪くない」と教えてくれた人だ。 春樹の本をジーンズのポケットに突っ込み、胸のポケットにはタバコ、空っぽな薄い財布には数百円しかない。 そんな軽装で喫茶店まで出向き、お金が無いからサンドイッチとかの類が類めず、苦肉の策として、甘ったるいコーヒーを頼むことにより空腹を紛らわしながら、図々しく何時間も居座り、本の世界に没頭したあの頃。 一ページ繰るごとに、確実に何かに近付いている気がした。 しかし、一体何に近付き、結果的に何になったのかは、未だに分からない。 僕は本を「逃避」に使ってしまった部分もあるから、現実からは距離が出来た。現実でやるべきをおろそかにもしてきた。 しかし、まぁ、それでも良いじゃないかと思う。 結果的に、そのことで救われた自分がいたのだから。悪友みたいなモノかね。 昨日も一人、クソ安い赤ワインを飲みながら、ゆっくりと頁を繰り、時折煙草を吸い、春の匂いと混ざったこの匂いは、10数年前と同じだと思った。 そう、色んな分人はいるけれど、やっぱりコアは、春樹に影響されている部分が大きい。 僕は現実ではあんまり上手くやれないけれど、本や音楽、自然の中では割と上手くやれる。 そういった分人も忘れずに、まぁ気楽にやろう。剥き出しの承認欲求や黙殺とか、何かよく分からないけれど、社会的地位の張り合いとか、本当に心底ウンザリなので、そういった分人に絶望せずに、核を思い出せ。 そんな春の夜はなかなか良かった。 PR
折れない強さ、それは、しなやかさと同義な気がする。
しかし、一体、どうすれば、しなやかになれるのだろうか。 薄ぼんやりと考えてみたが、①極力身軽になること②こだわらないこと③どんな目に遭おうとも、あくまで、「分人」がそれを被っているだけで、「私の全て」が否定されるものではないと思うこと、の三点な気がする。 まず①。自分にとって、主観的にどうでも良い物事は、大胆に「切り捨てる」。荷物は軽い方が足が動くし疲れない。そして、身軽になることは、実は自分を大切にすることにも繋がる。 「自分の人生に詰め込める容量」は、多分たかが知れている。 それだったら、くだらないムラ意識の連帯や作法、慣習なんかに基づくあれやこれも、単なる余計な荷物でしかないことに、直ぐに気付くはず。大体、それが、どれだけ自分を救ってくれたかに思いを馳せると、手を胸に当てるまでもなく、単なる徒労、労多くして益なしとはまさにこれだと悲しい気持ちにさえなる。 とにかく、荷物は軽く。 ②そもそも、何かにこだわらなくてはならない理由をまず見つめる。暫定的に、その理由が、「こだわらざるをえない」種類のものであるならば、まぁ、それは仕方ないとして、その理由が取るに足らないもの、(単なる見栄とか、つまらない次元の承認欲求)であるなら、そこに執着する意味も価値も薄い。つまり、あんまり意味がない。 意味がないことに躍起になって、自分を疲弊させては元も子もない。 しなやかになるためには、執着を減らし、こだわらず、あらゆる自然状況に応じ、折れないように極力、ただ、なびくことだ。少し①とは矛盾する部分もあるかもしれないが、まぁそこも、こだわらない。 そして、③について。 この意識が一番大事かも。 誰かにボロクソ言われたり、死ぬほど嫌われても、別にそれは、「自分の全否定」とはイコールではない。 たまたまその相手との分人が、否定されたに過ぎない。 別の人向けの分人では、恐らくまた違うだろうし、そもそも、ボロクソ言うような奴とは関わらない方が良いわけだし、死ぬほど嫌われているなら、むしろ、サインを出してくれてありがとうと思おう。 そう、分人の数だけ評価があるのだから、その一つ、あるいは、いくつかが否定されたからと言って、ふさぎ込んだり自己否定する必要など、まるで無いのだ。 しなやかに折れないように。 悔しいやんけ、つまらない物事に、文字通り殺されたりしたら。 僕の数少ない交友関係や知り合いの中に、自殺した人が二人いる。 彼らの訃報を受けるまで、自分は何も知らんと呑気に生きていて、後になって、何の手助けも出来ず、本当に申し訳ない気持ちと自責がある一方、彼らの死から「しなやかさの重要性」を学ばせてもらった。 強くなくても本当は良いのかもしれない。 しかし、強くならなければ、多分、生き延びることも何だか難しそうだ。
昨日は、大学時代の友人連中と、群馬に桜を見に行った。
まずは赤城で芝桜を見ながらお昼ご飯を食べ、その後、「東洋のナイアガラの滝」なる吹割の滝を見に行く。 落差自体は7mで、ナイアガラもへったくれも無いのだが、それでもやっぱり滝は良い。轟音とか「落ちたら下手したら死ぬんだろうな」という恐怖に圧巻されるから、自然と「自然」への畏怖が生まれる。そして、だからこそ人はちっぽけ、所詮自然には敵わないんだろうなとか思う。 その後は、ほぼ貸切の伊香保温泉でゆっくりし、名物らしいソースカツ丼を 食して帰った。 大学時代の友人と会うと、いつだってもっと勉強しなきゃと思わせてくれるのはきっと財産。 地元は地元で楽しいけど、いつだって知的要素はほぼ皆無な会話と、幼なじみ特有の馴れ合いに甘んじてしまうが、大学時代の友人達は、いつだって、まず、自分で考え、そして、自分の言葉を紡ぐ。 世界が広がったのは彼らのお陰だ。
ナノユニバースとチャオパニックで服を買った。
シャツを2枚にジャケットを1着。 それだけで、随分と気分が上向いた。 着飾ることには、さほど興味も関心も無いのだが、(オーソドックスなモノで好きな色合いとシルエットになれば何でも良いレベル)それでもやはり、新しい服を買うとちょっと嬉しい気持ちになる。 新しい服を纏い、春を楽しめ、全ての分人。 イケてると思い込んだ奴の勝ち。
今はそれだ。
棚上げナンボ。時にはそうやってでも先に進まないといけない。 きっと、立ち止まっては棚卸しをして、また棚上げをしては駆け出す。その繰り返しが生きていくということか。 いくつかの分人は概ね調子が良く、他の分人も悪くない感じだ。 そう、それでひとまず良いんだから、今は進もう。 全部クリアにしなきゃ先に進めないとか思っていたけれど、分人の数だけ自分もまたいるのだ。課題もあれば、勿論、先に進む希望も資格もあるのだ。 自分は許されて受け入れられて、幸せを掴み取る権利がちゃんとあるんだぜ! |
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