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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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むしろ害悪だ。

そんなモノに浸るくらいなら、寂しくても一人でいる方がずっと良い。
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コンビニにまで七つの習慣の漫画が進出してきている。

本屋に行ってもプロモートの位置に山積みしてあったりで、一体何故なのだろう…

はるか昔、この本に書かれていることをまるまる実践しようとして、御多分に洩れず挫折した過去があるので、もう二度と手に取るまいと思っていたのだが、こうもあちこちで目にする機会が増えると、再度して再挑戦してみようかなという気にもなってくる。

真剣に生きるにはこの世はアホらしいと昨日書いたが、やっぱり、真剣に生きてみたいという気持ちもまた強い。

周りが云々とか評価に直結するしないは抜きにしても、きちんと生き切りたいという気持ちはある。

お天道様が審級の目だ。

んで、自分のいちいちがお天道様的にどうなのかってことだけを基準に、きちんと生きたい。

となると、七つの習慣など不要だって話にもなるが、お天道様的生き方に通ずる要素も多々あった記憶もあるので、作られたブームかもしれんが、再読してみようかな…

まずはテクニカルなことではなく、人格を育てるとか、インサイド・アウト的な発想とか、確かに普遍的だと思うしね。
これは昔から疑問なのだが、人は己の幸せを相対的な尺度無しに計れるものなのか。

月並みだが、この世には、自分以外の他者がいるから、初めて「自分」という存在を認識することが出来る。

つまり、他者がいないことには、「自分」という概念はまず生じない。

そして、他者がいるから己という概念が生まれ、比較という考え方も生まれる。

そう、我々が何かを考えたり感じるに辺り、相対的な尺度からは逃れられない。「自分で導いた考え」など、突き詰めれば「他者」だし、もうワケが分からなくなってくる。

絶対的な幸せを考えるにあたっても、相対的にしか物事を発想出来ない我々人間は、とどのつまり、どれだけ足掻こうと、他者からは逃れられないのだ。

自由意思なんて思い込みだ。各人、ガチガチにバイアスがかかり、偏った認知に縛られている。

絶対を望むこと自体が、そもそもの間違いか。

相対的な幸せを絶対的だと、無理矢理思い込むしかないのかね。

みたいなことを考えだすと、ほとほと生きることに意味なんてまるで無いんだなぁと白けた気持ちになってしまう。

そうやって今日を塗りつぶし、明日をやり過ごし、いつしかこんなことを思うことも面倒になり、体は衰え、残された時間の短さに辟易し、それを必死に否定せんと意固地になり、そんなことをしているうちに死ぬだけだから。

結局そんなものさ。

気楽にやろう。真剣に生きるには、この世はアホらし過ぎる。
(要るモノ)

死なないためのお金

お金を稼げる力

体力



家族の安寧

友達の安寧

お世話になった目上の人や縁のあった人たちの安寧

ランニング

釣り

読書

音楽

キャンプ

健康

タバコ(いきなり不健康…)

酒(...)

平和な世界()

矛盾だらけだけど、それでも自分の全て

たまには誰かを思えるだけの精神的余裕

(要らないモノ)

見栄

誰かのモノサシ

世界体

不毛な付き合いや馴れ合い

明らかに向いていない趣味嗜好

思考停止

ムラ意識

お上意識

(向いていること)

人との社交(本当は好きだし多分得意だ)

おどけること(人を笑わせるのが昔から好きだ)

目標を設定し、自分なりに試行錯誤していくこと

石橋を叩いて歩くこと(本当はチキン野郎だ)

人と人を繋ぐこと(これも本当は得意だし、やりたい)

レールから外れた経験を持つ故の可塑性と、その経験を用いて何かをすること。

良くも悪くも、もう吹っ切れているから、つまらない自己保身にはあまり興味が無いため、比較的自由に動けるであろう自身のこれからの全て

足るを知る的な生き方

意外と何にでも意味を見出せること

(向いていないこと)

意に沿わない意思決定に従うこと

同調圧力に表向き従うみたいなしたたさ

価値観があまりに違う人との社交

誰かのモノサシで物事を判断すること

妥協



睡眠不足な生活

あきらめること



これが「今」を生きる秘訣だ。

その瞬間瞬間を、過去からいちいち切り離し、ただ生きる。しがらみを断ち、今以外の何物にも囚われない。

勿論、こんなことが完全には出来ない。だから、出来なくても良いから、少なくともリセット意識を「意識」する。

喉元過ぎれば熱さを忘れる。

火傷した喉元やら食道やらも、そのうち治る。

つまり、何度も似たようなことばっかり言うようだけど、生き切らないといけない。

いちいちをリセット。その瞬間に埋没。過ぎ去ったことに囚われ過ぎるのも程々に。今を生きよう。今を生きる。この瞬間が全てだ。勿論、人の一生は線だけれども、その連続性を改めて振り返るのは、走馬灯のその瞬間だけで良いや。

瞬間は点だ。

点と点をただ結べ。もっと言うなら、そんなことすら忘れて点に生きろ。


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