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もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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最近、やたらタイトルに付したフレーズが頭をよぎる。

僕達は生きている間に、反省なんてする必要無いんじゃないか、そもそも、反省なんて出来ないんじゃないかと割と真剣に思う。

今生をパーティーだと捉えて、ただ宴に興じれば、もうそれで十分なのではないか。

連日連夜、人との出会いを楽しみ、酒を酌み交わしてワケの分からないことを言い合えたら楽しいじゃないか。

楽しいかな。分からない。

まぁ、どうせ手持ち時間はそんなにはあるまい。せいぜい長くてあと50年くらいだ。

50年ぶっ通しでパーティーするくらいの気持ちでちょうど良いんじゃない。


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小学校3年生の冬休み、僕は車に跳ねられた。

せいぜい時速40km/h程度のスピードで走る軽自動車に跳ねられたのだが、僕は跳ねられた瞬間を今も鮮やかに思い出せる。

車が自分に衝突した刹那、僕の視界は黒と白の二色になった。

宙に浮かび上がった、たかだか数秒間がスローモーションのように流れ、基本的には黒一色の視界の中、人やモノは白く型取られ、そして、人の表情や例えば、電柱に貼ってあった中古物件の価格や間取りなんかは、かなりはっきりと見えた。

僕の世界に色彩が戻ったのは、それからさらに数秒後。自分に何が起きたのか理解するには、さらに数秒を要した。

僕が跳ねられた一部始終を、不幸にも見てしまった当時の同級生は、河野が死んだと泣き叫びながら家に帰り、気がつけば僕は、救急車に乗せられていた。

そして、僕はこの事故の後、自律神経が狂った。

床が斜めに感じられるようになったり、地面がゼリーみたいにグニャリと感じられる症状に見舞われた。

そして、これが一番大事なことだと思うのだけど、何故、僕はまだ生きているんだろうという根本的な疑問を抱くようになった。

その年、阪神淡路大震災が起きたこともあり、倒壊した家屋や、歪んだ高速道路、燃え盛る街並みがブラウン管越しに僕の目に焼き付くうちに、その思いは 日増しに増強された。

しかし、そんなことはいつしか忘れていた。

自律神経の乱れも、阪神淡路大震災から一年後に越した北海道での生活を通じ、すっかり改善し、また、思春期の入り口に足を踏み入れたこともあり、好きな子やモテるにはいかにすべきか、みたいなことばかりに関心の大半が占拠され、すっかり何もかもが無かったことのように感じられた。

×××××

そして、あれから十数年、僕はまだ生きていて、そして、死ぬことは意外と呆気ないんだって気持ちも変わらない。

何故なら、恐らくその瞬間は、痛くも痒くも無いんだから(笑)

視界は白黒になり、何の痛みも無く、ただゆっくりと時が流れ、そして、肉体が受忍する限界を超えていた場合、そのまま世界は黒に占拠され、偶然この世に生を受けた「自分」が、終わるに過ぎないのだから。

よって、死、そのものに怖れは案外無い。

ただ、死につきまとう周囲への影響は払拭出来ない。むしろ、そちらが怖い。

まぁ、色々あったが家族は悲しむ。友達も多分何らかの影響に晒される。そして、僕を知る全ての人に、少なからず死についての何らかのイメージを与えてしまう。

それが怖い。

しかし、僕はまだ生きていて、僕は死んでいない。

例えば、取るに足らない昨日や今日を、やっぱり慈しんで、死後の周囲への影響等のノイズを、生という最強のノイズで打ち消すしかない。

二十代最後のクリスマス、そんなことを思いました。

年末、すごい久しぶりの北海道時代の友人達や、地元の友人達、大学時代の友達連中と連れ立って酒を飲んで話をしたが、やっぱりきちんと、それでもまだ生きなきゃなと思った。

皆、それぞれに苦しさや葛藤はありつつも、現実の中で生きている。俺だってそうだ。

立派な人にはなれないかもしれないが、立派に命を使う途はまだある。

足掻こう。こんな自分、こんな時代、こんな人生だけれども、俺はまだ俺の1%もしっかり生きれていない。

頑張ろう。あの世で皆で反省会だ。生きてるうちは、笑い飛ばしていきたい。

を読み返していると、今すぐにでも旅立ちたい気持ちになる。

別に旅することに、意味なんて無いと思う。強いていうなら偶然の結果に過ぎない。

例えば、僕が数年前にラオスに行ったのも、たまたま歌舞伎町で出会ったカナダ人がラオスを大絶賛していたから何となく興味を持っただけで、そこに深い意味は無い。

しかし、動機はともあれ、いざラオスに行ってみれば、僕はまだ知らない自分に出会えたのもまた確か。

以前、ブログにも書いた気がするけど、メコン川のほとりで、ビアラオというラオスのビールを片手に、一緒に旅した友人達と、「メコン川なんて中学の時の地理以来聞いたことないよな。その数年後に、今メコンなうだなんて割と冷静にウケるよな(笑)」なんてふざけながら、早い時間から飲むビールの、浅い酔いに任せてただただじゃれ合っていたが、夕刻に見たあの大きなサンセットの前では、僕らはただただ素直にならざるを得なかった。

「虚栄ってバカらしいよな」

「もう、嘘をつくのはやめよう」

自然と、互いにそんな言葉が口をついた。

まぁ、冒頭に戻るが、偶然にしろ何にしろ、僕はラオスで虚栄の虚しさやウソがもたらす効用の限界を知り得たのだ。

だから、旅は魅力的なのだ。

次は南米あたりで、命の危険に晒されながら、僕は何かを掴みに行きたい。勿論、掴めなくても良いし、死にたくないけど、死んだらそこまでな覚悟でね。
最大でも、あと50年くらいしたら死ぬ。

日でカウントしたら18,250日。

そして、刻一刻と体は老いていく。

僕は一体何を成したというのか。

勿論、何を成さなくても問題など一つもない。突き詰めれば、今日を、そして明日をといった具合に、ただただ死なぬよう、何とか生き延びられたら人間、多分、それで十分なのだから。

しかし、何でも良い、やっぱり自分を世界(社会?)に刻みたい。こんなロクでもない自分だけど、それでも、人様の役に立つ喜びを感じたい。

自分らしさなんて幻想かもしれない。

しかし、幻想もまた、自分なのかもしれない。

とりあえず、ウジウジは極力せず、命を生かそう。

イリュージョンだろうが何だろうが、目の前の誰かが笑ってくれるなら、やっぱりそれは幸せ。

幻が、誰かの延命の一端を担う可能性があるのなら、やっぱりそこには意味があるんじゃないか?

まぁ、難しく考えず、とにかく生きて、出来るだけ自分以外の誰かを思う「余裕」を持とう。

「余裕」が無いと、僕は本当に、ただ自分の延命にしか思い及ばず、いつかくたばって、ただ終わる。

だから、「余裕」を手にすることを躊躇うな。それは必要悪だ。

エゴを尊重したいなら、エゴをまず生かすことが可能な環境が必須だ。

まぁクソみたいだけど、笑っちゃうくらい、僕は相変わらずだな。生きろ。


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