もう納豆について語るくらいしか、僕に出来ることはない…などと思っていたが、もうそんなんは沢山。
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つらつらと考えたこと一覧。
【レッテル付けやパッケージ化思考をやめる】思考停止を招くから。 あらゆる事象は多面的。よって、あらゆる事象を「理解」することは、原則として不可能。しかし、そうは言っても、物事を判断していかないといけないので、少なくとも、多面性を意識すること。切り口を1つでも多く持つことが大事。そして、その判断は、常に暫定的なものでよい。つまり、留保付きの答えでオッケーってこと。むしろ、断定して思考停止に陥るよりか、はるかに、そちらの方が健全。 【自分を自分で勝手に評価しないこと】むしろ、自分など実はいないということを意識しよう。自分は、あらゆるシーンで色んな顔を持つ。その全てが自分であると同時に、その全ては自分ではないのだ。先の物事の多面性についての考察と一緒で、自分だって多面的なのだ。「これが自分」なんて「自分」などない。あくまでも、「自分という総体の中の一部分に過ぎない自分」でしかないことに注意。 【理性偏重主義を見直す】理性は万全ではない。遺伝子情報やシックスセンス的なモノに委ねても良い部分が、きっと沢山あるはず。幸せは、理性のみがもたらすのではないのだ。 【感情を疑う】感情には可塑性がある。そして、発展性もあるように思う。よって、暫定的な現在の感情に振り回されるのは、ある程度は仕方ないにしても、あまりに振り回され過ぎるのは愚かなことである。 【感情を切り替える意識的な努力も必要】感情は外的環境に左右される部分も多々あるように思う。例えば、ちょっと人生イヤになっちまったなぁと悲嘆していた次の瞬間、たまたま通りかかった外国人に、「スミマセン、ワタシ、シンジュクステーションニイキタイノデスガ、ミチワカリマセーン」と尋ねられ、必死で道を教えた後、道を尋ねられる前と同じ感情かどうかを確認してみよう。恐らく、少し違うはずだ。こういった偶発的なことは例外としても、つまり、外に飛び出せば外的な刺激によって、感情にも刺激が加わる。その刺激の力を借りて、感情を変えることは、きっと有効な作戦だと思う。 【絶えず「新しいこと」を追い求め続ける】 別に何だって良いんだけど、自らの生活に常に「新しいこと」を取り入れる。つまり、自分の持つチャンネルを増やし続けるのだ。自らの硬直化を防ぎ、興味や趣味、考え方の一極化を防げるはずだ。 【完璧主義をやめるかわりに完璧ペシミズムもやめる】 あらがあるから人間だ。綻びがあるから人間。欠点のない人などいないし、悔い改めたくなる過ちを、過去に一度も犯さなかった人はいないはず。 十字架にして背負っていくのは仕方ないにしても、それに囚われ過ぎないこと。反省し過ぎて今を真っ黒に染めるのは馬鹿らしい。生きてくうちに、きっと何とかなっていくもの(だと信じたい)。一生を振り返る反省は、死の間際にすればよろしい。罪悪感からくる補償行為もほどほどに。 先の話ではないが、自分は多面的な存在なのだ。Aという自分は悪いヤツでも、Bという自分は良いヤツじゃないか。同様に、Cという自分もまぁまぁ良いし、Dという自分も捨てたもんじゃない。だから、トータルで見たら、そんなに自分は悪くない、といった意識を常に頭の片隅に置くことだ。そう、大切なのは、「トータルで捉える視点」だ。思考停止・感情溺死を招かないためには、この視点が何より大切。 PR ![]() ![]() |
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